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海堡(かいほ)とは ― 東京湾に浮かぶ、人工島の要塞

第一海堡と第二海堡の間はマダコの名ポイント。その「海堡」とは何なのか。明治〜大正に築かれた人工島の要塞の歴史をたどります。

HOMETOKYO BAY海堡(かいほ)とは ― 東京湾に浮かぶ、人工島の要塞

TOKYO BAY 2026.06.12

東京湾で釣りをしていると、海の上に忽然と現れる島影に出会います。それが「海堡(かいほ)」。2025年のマダコのお祭りの舞台になった第一海堡〜第二海堡の間など、釣り人にはおなじみの存在です。けれど、もともとは何のために造られたのか――じつはこれ、明治から大正にかけて、首都・東京を守るために築かれた人工島の要塞なのです。釣り場として親しむその足元には、100年以上の歴史が眠っています。

WHAT海堡とは ― 海に造った砲台の島

海堡とは、海の上に人工的に島を築き、そこに砲台を据えた要塞のことです。陸の砲台だけでは守りきれない湾の入口を、海の真ん中から固めるための施設でした。東京湾では明治〜大正期に、湾口の防衛を強化するため、千葉県の富津岬の沖から神奈川県の観音崎の沖にかけて、3つの人工島が築かれました。

第一海堡・第二海堡は千葉県富津市に、第三海堡は神奈川県横須賀市に属します。自然の島である猿島とともに、東京湾の入口に弧を描くように配置され、首都防衛のラインを形づくっていました。地図で見ると、富津と観音崎が最も狭まる“東京湾の喉元”に並んでいるのが分かります。

HISTORY明治から大正へ ― 築造の歩み

最初に造られた第一海堡は、明治14年(1881年)8月に着工し、明治23年(1890年)12月に完成しました。続く第二海堡は明治22年(1889年)に着工し、大正3年(1914年)に完成。海の上にゼロから島を築くという、当時としては途方もない大工事でした。浅瀬を選び、石や土砂を積み上げて陸地を造り、そこに兵舎や砲台を据えていったのです。

完成後は、自然の猿島と人工の海堡が連携し、東京湾要塞の中核として機能しました。首都の玄関口を守るという重責を担い、数十年にわたって運用されていきます。

EARTHQUAKE関東大震災 ― そして現在の姿

大きな転機となったのが、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災です。第二海堡と第三海堡は被災し、同年に廃止されました。とくに第三海堡は震災で大きく沈下し、のちに航行の安全のため撤去されています。一方、第一海堡はその後も使われ続け、太平洋戦争の終戦まで東京湾要塞の一部として運用されました。

現在、一般人が上陸できるのは第二海堡だけです。「東の軍艦島」とも呼ばれるその姿は、近年ツアーで巡れるようになり、歴史遺産として注目を集めています。

第二海堡上陸ツアー

FISHING釣り場としての海堡

釣り人にとって海堡は、歴史遺産であると同時に、見逃せない好ポイントでもあります。海の中にそびえる巨大な構造物の周りには潮の変化が生まれ、小魚やエビ・カニが集まり、それを狙う魚が寄ります。2025年7月、第一海堡と第二海堡の間でマダコが入れ食いになったように、条件が噛み合えば爆発的な釣果が出ることもあります。100年前の要塞が、いまは豊かな漁場の一部になっている――そう思うと、海堡を眺める目も少し変わってきます。

出典:海堡に関する各種解説(Wikipedia「海堡」、第二海堡ツアー公式ほか)。立入・上陸の可否や安全情報は最新の案内を必ずご確認ください。

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